藝大で竹宮恵子さんと押井守さんの講演会があるというので参加。
たっぷりとした下心と腰を据えて脳みそを使おうという好奇心で(^-^;

前半は竹宮恵子さんが自らの経歴で振り返る少女マンガについて。

世代としてはいわゆる24年組(山岸涼子、萩尾望都、大島弓子など)
中学生の頃にテレビで「鉄腕アトム」が放送され、「リボンの騎士」など
男性作家や男性編集者による少女マンガが作られていた。

児童マンガや少女マンガを描いてはいたものの
女性性や女の子が理解できず
女性らしいものを共有することができなかったが
男の子になりたいわけではなく
男女の差別のないものを描きたかった。

当時は少女マンガで少年を主人公にするのはボツ。
「花とゆめ」が創刊されたときも、女の子らしい誌名に嫌気がさす(笑)
後の名作「風木」を掲載するために「ファラオ」で読者アンケート1位を目指す。
1位を取ればトップのマンガ家だから特殊なマンガでも”仕方がない”と説得感が出る。
その際に次への布石として
・少年マンガっぽく
・古代エジプトの歴史モノという設定により、常に上半身が裸。
 読者に裸の描写を慣れさせるため。

また製作のテクニックとして
・脚本家から戦闘シーンのタイプを学ぶ(ストーリの作り方、起承転結)
・週刊誌ならば次の週の掲載分で評価をひっくり返せる
 長期連載は成り行きで転がせる→読みきりは難しい
・自分の主張を出さない。読者の中に物語を作る(読者の心理を操る)

「風木」と「ファラオ」で培った少女マンガの演出と
描きたかった少年マンガのノリで「テラ」を製作。
バブルの前に少女マンガ革命期が終了し
物語が作る夢に酔う時代から現実の夢を見る世代に替わる。

マイナーメジャー
(大きく見ればマイナーなのだがマニアの間ではメジャー)
少女マンガとは呼びづらい種類のストーリー(物語)への強い傾倒が多い。

例の都条例
法律ではない方がいいが、倫理はあった方がいい。
眉をひそめる人と自由にやろうと思う人たちの中で作品は作られていくべき。
「風木」の頃は足三本以上が絡んでいなければOKと言われた。
規制を乗り越えた新しい表現ができるはずだから研鑽すべし。

作品のコントロール
マンガは感情的に描いちゃう人が多い。
ストーリーを考えずに描き出すと出来不出来が激しい。
起承転結をコントロールし、構図、吹き出しなどに意味を作ること。

#感想#
JUNE作家の制作動機と似ている部分もあって
中島梓さん「小説道場」などの本を読んだ記憶が甦った。
時代のトップを取った人から話を聴くのはやはり勉強になる。

後半は押井守さんによる日本アニメやら原発やらの話。

日本には技術はあっても技術の思想はない。
実現したいことがあって、技術を生み出し活用するわけではなく
あんまり考えずに技術を取り入れて、都合のよいように作り変える。
福島の原発事故は科学的現象から考えれば「原爆の自爆」と考えれば分かりやすい。

ロボットのコンセプト
「ガンダム」シリーズ→兵器
鉄腕アトム、鉄人28号→新しい種類の人間、人間としてのメタファー

レイバー→パトカーの延長線。ハードとソフトで分けられる。
       メタファーと兵器との間のロボット(警察なので日常の平和を守る)

元々、日本のロボットはアンドロイド(人間の形に近い・二足歩行)
機械工学では六脚が一番安定するし、人間に近くない方が効率的な形。
人間そっくりのものを作るよりも、人間が機械に近づくほうが効率的かつ実現しやすい。

ジャパニメーション(「攻殻機動隊」)への海外からの反応
欧州:サイバーオリエンタリズム アカデミズム+オタクが合わさった興味
米国:かっこいい!女性が哲学語りながらガンアクション

アニメの存在とは鵺(ぬえ)
文学は言語を共有し、国を表すが、アニメに国はない。
記号的な表現が多用されるため、脳による補完作用が不可欠であり
見るための訓練が必要な見る側へ大幅に依存しているメディア。

特に日本のは動かしにくいキャラ、手間のかかる精密な背景を使うという
非効率的なアイテムを滑らかに動かそうというバカの情熱によって出来ている。
CGだろうが、手塗りだろうが、現実をとことん排除して作り上げる工芸品であり
ロボット製作にも通ずるバカの情熱以外には実現不可能。

#感想#
エッセイなどによる書かれていた身体性の話なんかもあり。
人間よりもメカが好きーな効率重視なところは前世代のオタクな気配がたっぷりと。
実写だと俳優さんに指示出さなきゃいけないから怖い、というのが印象的。

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