友人との約束を果たせなかったり、映画のチケットが取れなかったり色々あったが、一番つらかったのは本日の図書館で見た光景だ。

返却資料があったので、カウンターで手続きをしていた時。
奥のカウンターから剣呑な雰囲気を感じた。

パソコンで資料を探すには不向きな本探しをする場合、係員に相談して候補を挙げてもらえる相談窓口がある。大抵、話が長引くのでイスが用意されており、相談者は座って係員と同じ目線で資料を検討するスタイルだ。

ところが、私が感じた気配の発生源は座っておらず、係員も立ち上がっている。その時点で危険な場が出来上がっていた。おそらく相談したが、思うような候補を挙げられていなかったのだろう。自分が見つけたいものを言葉で適確に表現し、なおかつ相手に完全とはいえずとも伝わるようにするには、時間と根気のいる作業だ。聞こえてくる声を拾うかぎり、男性は係員へ要望を伝えることができておらず、係員からの応答に答えられていない。

そこで他の利用者から「あんたのような人間がいるから迷惑するんだ。さっさと出て行け」というような意味の言葉を怒鳴られ、エスカレートする2人。これは言葉だけで済まないかもと、移動してきそうな通路から書棚へ避難した。物見高く見物するなら安全を確保してから(苦笑)

一端は係員の仲裁もあり、静まったかにも見えたが、捨て台詞だか何かで再燃。出入り口付近で乱闘が始まった。いつもは資料の盗難予防をしている警備員が飛んできて、お客様センターへ2人とも放り込んだところで一件落着となった。

これがウワサの「暴走老人」(2人とも熟年以上)かと思うが、電車でもお店でも本当によく見かけるようになった。老人とはいえずとも30か40か思春期とか血気盛んという言葉とは縁遠いはずの人たちが怒鳴り散らしたり、暴力沙汰を起こす。もちろん女性もだ。

年寄り特有という話ではなく、すでに自分らの年代にも予兆を感じる事がある。待ち時間はどこまで我慢できるか?というアンケートで驚くような結果を見た。電車の遅延5分、携帯メールのレス着信に1分以上かかるとイライラするのが平均値とのこと。

なんというか・・せせこましいというよりは、相手を信用していないというか。電車は遅れるのが普通だと思えば、5分ぐらいなら想定内だし、携帯メールだって留守電へ吹き込むようなもので、好きな時に返されてもおかしくないものだ。

会社で同僚に「私、気が短い方なんだよね」と言ったら「相当気が長いですよ」と返答された理由がこのアンケート結果で分かった。私の気が短いという時間は20年以上前の時代なら短気と呼ばれるものだが、今の時間感覚からすれば「長い」ことになる。

図書館は市民には無料で開放されている場であり、何よりも本を求めている人が来る場である。本好きはえてして知性的であるはずだが、そういうところでさえもこのようなことが起こってしまうとは、マナー以前に社会の不安がここにまでと暗澹たる気持ちになった。

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