中井英夫戦中日記 彼方より 完全版
2007年9月1日 読書
図書館で途方に暮れていたときに、うっかり目に止ったため借りてしまった。戦中日記といえば、自分の中では山田風太郎が念頭にあったので、あの中井英夫にそんな日記文学あったかと驚いた。
昭和18年ごろから毎日書いているものでもなく、日記というよりは今で言うところのエッセイ調のブログのような書き方である。学徒徴兵をされた、ふてくされた気持ち。母親を亡くした悲しみ。時代の空気というものが、今までの大仰なモノから今の学生のような書き方により、自分の中でようやく断絶していた戦中、戦後が繋がった。
当時の少なくとも大学生は自分から戦場へ行きたがる人間を「バカ」だと思っていたそうだ。学徒出兵の送別会では「黎明断じて遠からず、首が飛んでも死ぬものか」と高らかに宣言し、職業軍人の横暴さに腹を立て、じゃがいもをマッシュポテトで食うべと茹で方を工夫(燃料が不足していたため)したり、友達の家へ遊びに行っては飯を食べさせてもらった。確かに大本営付きの事務方に採用とはいえ、あまりにも普通な生活であり、学校生活の延長線上といっても差し支えはない。
終戦近くになって、中井は病を得て生死の境をさまよっていたが、その軍人病院の中ではすでに「負けて終わるんじゃないか」という空気があり、戦争が終わるらしいぞという話に「ばんざい!」と諸手を上げたジェスチャアに笑いの出る一幕があったそうだ。玉音放送などの歴史の瞬間に本人は意識不明の危篤状態で、気がついたら敗戦国の病床で目が覚めたといった按配だった。
あとがきに触れられていたことに、戦中にマジメな国民のようなことをしていなかった人間が、戦後になった途端に戦中に模範とされた人間像を自分はしていたと語る、珍妙な美化をしているという。
つまり、敗戦を迎えたところであまり気質は変わっていないにもかかわらず、戦中は規律正しく、挙国一致で動いていたかのような幻想を抱かせ、戦争のある日常を正しく理解や分析がされていないことが戦後すぐに起こっていたのである。であるならば、戦争を知らない世代である私が誤解をするのも無理はない。
今の政治の空気、経済の模様、戦争前夜に似ていると話を聞く。戦前や戦中を知っている人の話が美化されていることを差し引いたとしても、当時の資料を読むのを怠ってはならないとつくづく感じた。
昭和18年ごろから毎日書いているものでもなく、日記というよりは今で言うところのエッセイ調のブログのような書き方である。学徒徴兵をされた、ふてくされた気持ち。母親を亡くした悲しみ。時代の空気というものが、今までの大仰なモノから今の学生のような書き方により、自分の中でようやく断絶していた戦中、戦後が繋がった。
当時の少なくとも大学生は自分から戦場へ行きたがる人間を「バカ」だと思っていたそうだ。学徒出兵の送別会では「黎明断じて遠からず、首が飛んでも死ぬものか」と高らかに宣言し、職業軍人の横暴さに腹を立て、じゃがいもをマッシュポテトで食うべと茹で方を工夫(燃料が不足していたため)したり、友達の家へ遊びに行っては飯を食べさせてもらった。確かに大本営付きの事務方に採用とはいえ、あまりにも普通な生活であり、学校生活の延長線上といっても差し支えはない。
終戦近くになって、中井は病を得て生死の境をさまよっていたが、その軍人病院の中ではすでに「負けて終わるんじゃないか」という空気があり、戦争が終わるらしいぞという話に「ばんざい!」と諸手を上げたジェスチャアに笑いの出る一幕があったそうだ。玉音放送などの歴史の瞬間に本人は意識不明の危篤状態で、気がついたら敗戦国の病床で目が覚めたといった按配だった。
あとがきに触れられていたことに、戦中にマジメな国民のようなことをしていなかった人間が、戦後になった途端に戦中に模範とされた人間像を自分はしていたと語る、珍妙な美化をしているという。
つまり、敗戦を迎えたところであまり気質は変わっていないにもかかわらず、戦中は規律正しく、挙国一致で動いていたかのような幻想を抱かせ、戦争のある日常を正しく理解や分析がされていないことが戦後すぐに起こっていたのである。であるならば、戦争を知らない世代である私が誤解をするのも無理はない。
今の政治の空気、経済の模様、戦争前夜に似ていると話を聞く。戦前や戦中を知っている人の話が美化されていることを差し引いたとしても、当時の資料を読むのを怠ってはならないとつくづく感じた。
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